2020年9月6日 日曜礼拝のみ言

礼拝のみ言

『平和の母』

 神様に侍り、信仰の自由を求めて立ち上がった清教徒の精神が、アメリカを誕生させました。しかし時間が経つにつれ、アメリカは神様のみ旨に従って世界を抱くのではなく、利己主義と退廃的な文化が蔓延する国となってしまいました。神様の夢は、七十七億の人類が平和で幸福な世界を築き、新しい心情文化革命を起こして、神様の愛に感謝する生活を送るようになることです。
 私たちはアメリカの建国精神を呼び起こし、世界を神様の元に導くという真の使命に目覚めさせるために、渾身の力で青年や指導者を教育し、多くの大会を開いてきました。しかしそれでも、アメリカは天から少しずつ遠ざかっていくばかりでした。
 私は今でも、一九七六年六月一日のヤンキースタジアム大会を昨日のことのように覚えています。アメリカ各地からはもちろん、全世界から人々が押し寄せ、ヤンキースタジアムは立錐の余地もないほどの超満員でした。しかし、天候は私たちの味方をしてくれませんでした。雨風が激しく吹きつける大荒れの天気となったのです。また、私たちを非難する人々がスタジアムの外で大会反対のデモを行い、大騒ぎしていました。ややもすると、暴動でも起こるような雰囲気でした。
 この大会のために、ニカ月前から全世界の信徒が祈祷を捧げていました。世界中からアメリカに駆けつけた信徒は、一日も休まずに方々を回り、大会の開催を一生懸命伝えました。その六十日間は、眠っているアメリカを呼び覚ます期間であり、共産勢力の拡大を阻止し、民主世界を復活させる重要な時期でした。私たちが青少年の倫理的破綻を食い止める防波堤となれるか否かを決する分水嶺でした。
 しかし、このような歴史的な意義とは裏腹に、大会の直前には激しい雨風に見舞われました。垂れ幕は裂け、ポスターはびしょびしょに濡れてはがれ落ち、舞台上の小物まで飛び散って、会場内はまさに大混乱となっていたのです。集まった信徒たちも雨に濡れ、惨めな姿で呆然と立ち尽くしていました。
 スタジアムの外では反対する数千人が集まって、あらゆる揶揄と非難の声を上げています。神様は本当に私たちと共にいらっしゃるのか、と疑いを抱いてもおかしくない状況でした。
 しかし、激しい雨と非難の声は、かえって私たちを強くしてくれました。アメリカに渡る前に受けた苦難と弾圧に比べれば、反対する者たちの雄叫びは、むしろ応援歌のように聞こえました。私たちは雨でずぶ濡れになっても、避難しようとは思いませんでした。
 その時、誰かが歌い出したのです。

 You are my sunshine,my only sunshine
You make me happy when skies are geay.

 それを合図に、みなで心を合わせて、「You are my sunshine」を歌いました。一人の歌声からすぐに壮大な合唱となり、スタジアムいっぱいに響き渡りました。皆の顔に、雨と混じって喜びの涙が流れていました。
 するとほどなくして、神様が私たちの元に訪ねてくださったのです。天地を覆っていた暗闇が消え去り、雲の隙間から一筋の日の光が差し込むと、会場が徐々に明るくなっていきます。そして到底、開催不可能としか思えなかった大会が、太陽が顔を出すとともに始まったのです。
 文総裁は祈祷を終えて演壇に上がる前、私の手ぎゅっと握りました。
 「あなたの精誠と祈祷のおかげで、私はきょう、壇上に上がります」
 雲間から差す日の光よりも温かな、満面の笑み。それはまさに、死の淵とも言える暗闇を突き抜け、光り輝く天地に復活したかのようでした。私は顔に付いた冷たい雨の雫をぬぐい、夫に熱い拍手を送りました。私たちは神様と世界の救いに対する確固たる信仰を持っており、「救世主が私と共にいらっしゃる」という事実に、決して勇気を失うことはありませんでした。
 毅然と壇上に上がった文総裁は、目の前の聴衆だけでなく、すべてのアメリカ人、ひいては全世界の人々に向けて、警鐘を鳴らしました。
 アメリカの建国二百周年を記念し、「アメリカに対する神様の希望」というテーマのもと、文総裁は「共産主義思想の蔓延と青少年の倫理的破綻を防がない限り、アメリカに希望はない」と声を張り上げました。文総裁が「私はアメリカに医師として、消防士として来た」と力説すると、聴衆は大きな拍手でそれに応えました。これまで誰もが囗にすることを避けてきた恥ずべき傷を露わにし、アメリカが抱いている問題を真正面から突いたのです。

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